第一回 「張 偉 小姐 & 蒋 東強 先生 夫妻」

張 偉 小姐 & 蒋 東強 先生 夫妻



香港での生活がこれ程充実感と幸福感で満たされているのは、このお二人との
出会いを置いて他にない。


張 小姐* は北京のご出身で妻と私の北京語(以後、普通話)の老師**であり、
蒋 先生***は香港のご出身で張 小姐の旦那様である。


* 小姐 (シャオチエ)  : 中国語で「女性に対する呼び方」(〜さん)
** 老師 (ラオシー)    : 中国語の「先生」という意。
*** 先生 (シエンシャン) : 中国語で「男性に対する呼び方」(〜さん)


北京語(以後、普通話)のクラスレッスンの講師として出会い、プライベートレッスンを通して現在は旦那様の
蒋 先生を交えた家族ぐるみのお付き合いをさせて頂いている。


我々に「漢方の奥深さ」(29/03/04)を教えて下さった事、香港の結婚式に出席する機会を作って下さった事、
私の妻に子供達に日本語を教えるきっかけを与えて下さった事、家族の絆の大切さを教えて下さった事等々、
感謝の気持ちを綴るエピソードは数知れない。


張 老師の素晴らしさは、その「行動力」と努力を辛いものと捉えないその前向きな「姿勢」とユーモアのセンスに
ある。蒋 先生もまた、大変な努力家であると同時に家庭を第一に考える心の温かい方である。自立した「個」を
持ち、互いを尊敬しあう関係であるお二人は、我々の「理想の夫婦」である。


13年の日本生活を通して培った張 老師の日本語は、アクセント・文法共に「完璧」である。日本語でジョークを
交えながら、和やかな雰囲気を作り出し、授業をリードする術は圧巻である。


今でこそ、自由自在に日本語を操り、最近では日本語で物を読む方が心地良く頭に入ってくるという張 老師で
あるが、文化の壁を越えて、語学を習得するには相当な努力をされた事は想像に難くない。


張 老師は、広東語の習得においても、大変な努力をされた。


「広東語」と「普通話」を「関西弁」と「関東弁」の違いと同じように捉えている人がいるがそれは大間違いである。


類似する言葉は存在するが、まず読み方が根本的に違う。声調も普通話が4つしかないのに比べて、広東語は、
9つある。それぞれ普通話と広東語しか喋れなかったお二人が出会った当初は、会話もままならなかったそうだ。


それ以上に、張 老師にとって一番の壁を感じたのは、旦那様のお義母様とのコミュニケーションであったという。


伝えたい事が伝えられないもどかしさに加えて、中国と香港の文化の違いによる勝手の違いから、一時期は会って
も義母さんの目を見て喋れなかったそうだ。


張 老師は、その壁を持ち前の負けず嫌いな性格と努力で克服された。今では何を置いてもお義母さんに相談し、
互いの家を毎日のように行き来している程のご関係だとか。


日本語・広東語の言葉の壁をどう克服されたのかお聞きした所、とにもかくにも「喋る」事だと教えられた。


【張 老師の生き方に共鳴し、学ぶ事】

「目を逸らさず、現実を受け入れる寛容性を持つ事が大切である。自分を信じて努力を怠らなければ、道は開かれ
る。毎日を楽しんで生きる事で物事の見え方が変わってくる。」


「人情網」という「言葉」に触れたのは書籍を通してであったが、この言葉の持つ「意義」を体感できたのは、張 老師
と蒋 先生、お二人との出会いがあったからである。


お二人との出会いを生涯に亘って、大切にしたいと思う。


【張 老師のご経歴】

北京生まれ。北京にて大学卒業後、単身で渡日。福岡の大学と大学院で計6年学び、日本語教師の資格を取得。
その後、日本の電力会社に計7年勤務。卓越した語学力とコミュニケーション能力に加えて、物腰の柔らかさと
人当たりの良さから、中国からのお客様の接客には欠かせない存在となる。02年ご結婚を機にご主人の生まれ
育った香港に移り、現在に至る。7月下旬に第一子を出産予定。福岡の老舗ラーメン「一風堂」と旦那様をこよなく
愛する愛らしい妊婦さんである。


【蒋 先生のご経歴】

香港生まれ。香港大学卒業後、香港の電力会社に就職。仕事の傍ら、夜間でMBAを取得。広東語、北京語、英語
を自在に操る。更なるスキルアップを目指して、週末学校に通い英語を習い、自宅で奥さまより日本語を習うという
大変な努力家である。奥さまをこよなく愛する優しいパパである。